許されたい・承認されたい、進んで良いか迷った時は、声を聞く

自分は生きていてもよいのであろうか?
自分は、そこを目指して良いのであろうか?

人は、迷い・揺れ・悩む生き物。
年齢を重ねれば、経験も増え、上がったり、下がったりも減る人もおりますが、
人生の岐路・分かれ道に立った時、人は年齢・性別に関係なく、揺れます。
特に、自分が好きではない・自分が嫌いと思っている人は、その揺れも振り子の振動の如く、激しいと感じられます。

生きる・営む、人としての悩みに仕事の悩み。
好きな異性の悩みに、健康の悩み。
悩みも色々。

しかし、進むべき道に迷った時は、私たち「占い鑑定師」の出番なのですが、占いだけではなく、占い鑑定師の出した・導き出した答えと、「声を聞く」という事が重要になると考えます。

なにの、声を聞く ?

「神様、私をお導きください」で良いのです。

神や仏の話しをすると、宗教・思想・生い立ち・哲学等によって、人それぞれ。
また、人それぞれだから、良いともいえます。

 

ある人は、天空に「神」がいると想起し、信じている。

ある人は、宇宙そのものが「神」と想っている。

また、ある人は、「神や仏は、人の心の中に宿っている」と感じている。

 

十人十色、千差万別なのです。

また、神も「八百万の神」と言われるように、多数いると考えられております。

この神の存在についての云々は、また機会があればするにして、大事なのは・尊いのは、信じて・委ねて・承認を受ける、答えを訪ねてみる・「神の声」を聞いてみる、という事なのです。

人は、自分が嫌いになり、自分は無価値な者だと考えてしまうこともあります。
皆、多かれ少なかれあると存じます。

それは、あって良いのです。

「他人がバカに見える」

「わたしは、選ばれし者」

「わたしには、凡人とは違う能力がある」

 

などと、思うよりよっぽど正常な心の動きと、そう思います。

どんな形であれ、

 

「神を信じる」行為は、「自分を信じる」につながります。

「神の声を聞く」という行為は、「自分に向き合う」という事にもつながります。

「神や仏」という物体・形ではなく、信じ・問い・委ねるという行為を真剣に考え、

それを行うという行為が「救い」なのです。

 

どんなにお金をもっても。
どんなに好き勝手に生きられても、「救われ・報われたと」、そういう感覚を持てないと、

人は満たされません。

満たされない者は、無限の迷路をさまよいます。
これでもか、これでもか、と抗い、アクションを起こしても、「救われ・報われた」という感覚を享受できないと、人は、寂しさと空虚を覚えます。
やがて・・・。

貴方・貴女は、言葉を変えて表現すると、誰かに強く抱きしめてもらい「大丈夫だよ、問題などない、自分の信じた通り進んでごらん」と言われたいのです。

0 (ゼロ)という概念

「占い」とは、長い年月を経て蓄積されたデータベースから、導きだされる答えとも表現できます。
根拠のある数字・統計学ともいえます。
その、データベースから導きだされた答えと、「神や仏」を信じ、承認してもらうという二つを行ってください。

いや、行える自己を作り上げてください。

迷い・揺れ・悩むは、生きているから。
これからも、生きてゆこうと思っているから。

それ以上でも、それ以下でも、ないのかもしれませんね。

「夜明け前は、暗い」

と、いにしえより言われております。

真夜中よりも、夜明け前の闇は、暗いのです。

しかし、その漆黒の闇と感じるその向こう側には、間違いなく、お天道様が光を照らしてくれる未来があるのです。

神を信じ・自分を信じること、それは、許し・愛され・幸せに向かっているという事に、必ずリンクいたします。

神の声を聞くだけの、淀みも、汚れもない状態。

有るは、無の心、「0」の自分を一度体験してくださいね。

 

幸せになりましょうね。